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演義での赤壁の戦いの描写がやたら丁寧だった元ネタですね作者の羅貫中先生がこの時代の人だからそりゃタイムリーな出来事だろうし参考にしたんでしょうね
赤壁の元ネタだけあって、赤壁要素満載ですね。朱元璋軍の勝利の要因は、やはり兵士の士気の高さだったのかもしれませんね。逆に陳軍は大船に頼ったり、さらにはそれを連結したり、で、どこかで守りに意識が向いているように見えます。連結も「それが戦術的に効果的だから」という積極的な理由ではなく、そうしないとテンでバラバラに逃げ出してしまうから、なんて消極的な理由だったのかも。
朱元璋視点の歴史だと「負けた」で終わってしまう陳友諒だけど、項羽や董卓にも負けないくらい強烈な個性の持ち主なので、いずれ単独の動画が見たいなあ
ありがとうございます!
自分の知る限りでは鄱陽湖の戦いで陳友諒が使用した巨大楼艦は鉄板張りでなく艦全体が朱色に塗り上げられていました。但しその朱色の塗料には泥が混ぜ込まれておりそれが耐火性能の役割を果たして火矢攻撃を主とする火器対策装備になっていました🔥🏹🧯
来週ちょうど鄱陽湖に行ってきます。タイムリーな解説、ありがとうございます。鄱陽湖は、冬には鶴などの野鳥もやって来るいい観光地です。みなさま鄱陽湖においでになる時はぜひ野鳥の季節に。ちなみに野鳥の解説看板は私の翻訳ですので、お読みなったら感想をお聞かせください。
すごい! あの世の朱元璋さんからも誉められそう。
いつか徐達、常遇春の単独動画を観てみたい😊
Thanks!
6:06 李俊キター(水滸伝大好き勢)
脳筋が集結した水軍においてただ一人冷徹な目を持っているんですよね。
まず映画に出てるような巨船がエンジン無しで川上ることすら想像もつきません。戦闘までこなしてた当時の技術に驚きです。
中国最後の漢民族王朝が乞食坊主の立国なんだから凄い。横山光輝にマンガ化して欲しかった
23歳までの反乱軍に身を投じるまでの時期と粛清から崩御までの22年間が悲惨と陰鬱だらけで大先生でも書きたくないレベルの環境はい粛清
カタルシスがない…
ほんと惜しい人を亡くしてしまいました。水滸伝と似てるけれどハッピーエンドなので。しかし統一後は粛清が悲しいのですが
@@正太郎-i3q 水滸伝は物語ですがこっちは史実ある意味史実は小説より奇なり
元にする原作小説がみつからなかむたからかも
粛清(や)っちゃうのルビ振りのセンスが忍者と極道みあって草
数百~数千人乗りの軍船が合戦できる長江凄いな… どんだけでかいねん。
鄱陽湖の戦いって朱元璋が圧勝したという印象でしたが、思っていたより大苦戦していたんですね。双方の総大将が何度も命を落としかねない状況とはすさまじいですね。ちなみに、船同士が相手の船を沈めるために大砲でドンパチし始めたのは、16世紀頃のヨーロッパです。(大坂の陣で使われたイギリス製のカルバリン砲も本来は海戦用。)鄱陽湖の戦いの戦いの時期には原始的な大砲(火砲)はあって、船に積んでいた可能性もあるとは思いますが、あくまでも対人用でしょうね。
鳥人間王朝の太祖が経験した天下分け目の戦いだ…
「戦いは数だよ、兄貴」とドズル閣下が仰るまでもなく、ある意味大軍こそ戦略であり戦術だったりします。が古来より英雄と呼ばれた人たちが最初からその大軍を有せたわけもなく、人生において必ず一回は困難な戦いを強いられるものです。朱元璋にとってその戦いの最後がまさにこれでしたね。ただ陳友諒も最終決戦考えていたことは間違いなく、まさに天下分け目の大決戦だったわけです。だから思います、ここで張士誠がもっと積極的になっていたらというifを・・・。もし張士誠が漁夫の利を得ていたら歴史は全く違う景色になっていた可能性があったかなあ、と。
このときから怒りに任せてつい粛清っちゃってたのか…ここにも伏線があったとは
「三国志演義」の赤壁の戦いのモデルになったと言われてる戦いですね
因みに陳友諒の息子の陳理は降伏後に恨み言を言っていたことを朱元璋に知られたけど、処刑はされず高麗に遷されて監視下に置かれるだけで済んだらしい。
相手はまだ飛行機がない時代に大艦巨砲主義的な作戦を仕掛けてきました。船を鎖でつないだところに火をかけて勝負あり!とはいうものの、三国志演義の赤壁の戦いともかなり違う感じですね。「具足を着たわら人形」が出てきて楠木正成が頭にうかんでしまったりと「あれ?俺今何の合戦の話をみてるんだっけ?」と一瞬思ってしまいました。中国がからむ海戦というと白村江の戦いとか日清戦争(狭義の元寇はモンゴルなので俺的には除外)のイメージが強かったですが、これも作戦や相手の大艦巨砲主義を逆手に取る渇水期作戦も「ああ、天下を取る勢力ってこうだよな」と思わずにはおれませんでした。
これだけ大規模な水上戦を内陸でやれることに中華の広さを感じる
タイトルがコーエー三國志のシナリオ名みたいで胸熱
影のMVPはチキって静観決め込んだ張士誠だよな
前半は元明の戦い、後半は朱元璋の粛清から逃れるみたいなRPGとか出ないかな。
困った時の劉基先生に歴戦の有能な部下達。朱元璋の幸運は両方あったことだなあ。でもついうっかり粛清w大変おもしろかった。話を聞いてる限りはまんま赤壁の戦い!レッドクリフ見直すか?ww
ロマンしかない
口マン?!
朱元璋軍の勇将・猛将・名参謀と聞いて、テレビショッピングのノリで「でもぉ~、用が済んだら処断されるんでしょ~?」とか言いたくなってしまう
やっぱり朱元璋先生 粛清してる😱
ちょっと負けただけで将官11人も処してしまうとかこの頃から本性が見え隠れしてるのか
これが赤壁の戦いの元ネタって噂がありますよね。なんとなく戦が似てるので
流石は広大な中国大陸湖でこのような大湖戦が繰り広げられるとは・・・勉強になりました
ちなみに、ギネスに載っていた史上最大の水戦はレイテ沖だった。
今も変わらないけど中華は大げさに話盛るから数字は信ぴょう性がない戸籍で800万しか人口いない時代に赤壁の戦い100万とか紀元前に白起が40万人生き埋めにしたとか1/10くらいで考えた方がいいよ
@@せかいひろし-z1t 中国に限らず、自軍の数は盛るものだ。日本も例外ではない。太平記とか読んでみろ。
スリーキングダム、項羽と劉邦をやったスタッフで今度は朱元璋、永楽帝をやって欲しい
以前鄱陽湖が干上がってたが沈んだ船とかあったのかな?
砂洲に乗り上げた船長の今後の人生が気になる・・・
劉福通、腹痛になる!
陳友諒軍・朱元璋軍双方軍船に使われた木材を考えるとはげ山と化した山が一体幾つ出来たことやら・・・
古今のコウ武帝はネタが尽きませんなぁ
この戦い最大の功労者は、3カ月近く南昌を守り抜いた朱文正ですね
鄱陽湖の戦いが三国志演義の赤壁の戦いの元ネタと言う話は恐らく違います三国志演義には先行テキストたる三国志平話があります平話はその表紙のど真ん中に「至治新刊」とデカデカと書かれています。至治は元号で、用いられたのは1321−23。鄱陽湖の戦いよりも40年も早く刊行されていますそしてその鄱陽湖の戦い以前に成立している平話で黄蓋の苦肉の計も、蔣某が周瑜口説くのも、手のひらに火と書くのも、孔明が東南の風吹かすのも、黄蓋が火船で突撃して曹操の船団を焼き払うのも、逃げる曹操が関羽に見逃されるのも全部あるんですつまり鄱陽湖の戦いが影響を与える余地はないものと思われます。
(:3_ヽ)_連環の計がないすねついでに言うと、こうがいのはなしは正史にある話やし、追加エピソードは周瑜と曹操の話くらい?
決戦の最中にいつもの粛清をするって……。いや、まだ天下は取っていないから粛清には不慣れ?
赤壁の戦いの元ネタだったりして
あ、三国志の赤壁の戦いの元ネタだ
ヒスイレベルの戦いだ!!
信長の九鬼水軍鉄鋼船の元ネタはこの辺りかもしれんなぁ・・
ゲンショウは昂るとついヤっちゃうんだ⭐︎
元から降った武将を策略使うやり方も三國志演義での黄忠の逸話にそっくりですね。
「赤壁の戦い」の時の曹操ですらこの戦いの朱元璋ほど窮地に立たされなかっただろう。何せあわや戦死しかけたのだから。もし陳友諒が勝っていたら、互いの命運は真逆のものとなり、陳友諒が中華統一を成し遂げた可能性も有り得ただろう。
ヴィエラみたいなボランチ日本には居ないよね
帝国水軍万歳
劉基センセー、流石や、孔明なんかいらんかったんや?あれ?劉基センセーあまり出番ないてすやん。しかし安定の粛清、劣勢でも変わらんなぁ、しかも隊長クラスを。
登場キャラの中で色んな意味で最もレベルの低い乞食が頂点に立つとはコーエーのゲームも真っ青
陳友貴…まさかとは思いますがゲロやウンコで攻撃するわけではないですよね?
演義での赤壁の戦いの描写がやたら丁寧だった元ネタですね
作者の羅貫中先生がこの時代の人だからそりゃタイムリーな出来事だろうし参考にしたんでしょうね
赤壁の元ネタだけあって、赤壁要素満載ですね。
朱元璋軍の勝利の要因は、やはり兵士の士気の高さだったのかもしれませんね。
逆に陳軍は大船に頼ったり、さらにはそれを連結したり、で、どこかで守りに意識が向いているように見えます。
連結も「それが戦術的に効果的だから」という積極的な理由ではなく、そうしないとテンでバラバラに逃げ出してしまうから、なんて消極的な理由だったのかも。
朱元璋視点の歴史だと「負けた」で終わってしまう陳友諒だけど、項羽や董卓にも負けないくらい強烈な個性の持ち主なので、いずれ単独の動画が見たいなあ
ありがとうございます!
自分の知る限りでは鄱陽湖の戦いで陳友諒が使用した巨大楼艦は鉄板張りでなく艦全体が朱色に塗り上げられていました。但しその朱色の塗料には泥が混ぜ込まれておりそれが耐火性能の役割を果たして火矢攻撃を主とする火器対策装備になっていました🔥🏹🧯
来週ちょうど鄱陽湖に行ってきます。タイムリーな解説、ありがとうございます。
鄱陽湖は、冬には鶴などの野鳥もやって来るいい観光地です。みなさま鄱陽湖においでになる時はぜひ野鳥の季節に。ちなみに野鳥の解説看板は私の翻訳ですので、お読みなったら感想をお聞かせください。
すごい! あの世の朱元璋さんからも誉められそう。
ありがとうございます!
いつか徐達、常遇春の単独動画を観てみたい😊
Thanks!
6:06 李俊キター(水滸伝大好き勢)
脳筋が集結した水軍においてただ一人冷徹な目を持っているんですよね。
まず映画に出てるような巨船がエンジン無しで川上ることすら想像もつきません。
戦闘までこなしてた当時の技術に驚きです。
中国最後の漢民族王朝が乞食坊主の立国なんだから凄い。横山光輝にマンガ化して欲しかった
23歳までの反乱軍に身を投じるまでの時期と粛清から崩御までの22年間が悲惨と陰鬱だらけで大先生でも書きたくないレベルの環境
はい粛清
カタルシスがない…
ほんと惜しい人を亡くしてしまいました。
水滸伝と似てるけれどハッピーエンドなので。しかし統一後は粛清が悲しいのですが
@@正太郎-i3q
水滸伝は物語ですがこっちは史実
ある意味史実は小説より奇なり
元にする原作小説がみつからなかむた
からかも
粛清(や)っちゃうのルビ振りのセンスが忍者と極道みあって草
数百~数千人乗りの軍船が合戦できる長江凄いな… どんだけでかいねん。
鄱陽湖の戦いって朱元璋が圧勝したという印象でしたが、思っていたより大苦戦していたんですね。双方の総大将が何度も命を落としかねない状況とはすさまじいですね。
ちなみに、船同士が相手の船を沈めるために大砲でドンパチし始めたのは、16世紀頃のヨーロッパです。(大坂の陣で使われたイギリス製のカルバリン砲も本来は海戦用。)鄱陽湖の戦いの戦いの時期には原始的な大砲(火砲)はあって、船に積んでいた可能性もあるとは思いますが、あくまでも対人用でしょうね。
鳥人間王朝の太祖が経験した天下分け目の戦いだ…
「戦いは数だよ、兄貴」とドズル閣下が仰るまでもなく、ある意味大軍こそ戦略であり戦術だったりします。が古来より英雄と呼ばれた人たちが最初からその大軍を有せたわけもなく、人生において必ず一回は困難な戦いを強いられるものです。
朱元璋にとってその戦いの最後がまさにこれでしたね。ただ陳友諒も最終決戦考えていたことは間違いなく、まさに天下分け目の大決戦だったわけです。
だから思います、ここで張士誠がもっと積極的になっていたらというifを・・・。もし張士誠が漁夫の利を得ていたら歴史は全く違う景色になっていた可能性があったかなあ、と。
このときから怒りに任せてつい粛清っちゃってたのか…ここにも伏線があったとは
「三国志演義」の赤壁の戦いのモデルになったと言われてる戦いですね
因みに陳友諒の息子の陳理は降伏後に恨み言を言っていたことを朱元璋に知られたけど、処刑はされず高麗に遷されて監視下に置かれるだけで済んだらしい。
相手はまだ飛行機がない時代に大艦巨砲主義的な作戦を仕掛けてきました。船を鎖でつないだところに火をかけて勝負あり!とはいうものの、三国志演義の赤壁の戦いともかなり違う感じですね。「具足を着たわら人形」が出てきて楠木正成が頭にうかんでしまったりと「あれ?俺今何の合戦の話をみてるんだっけ?」と一瞬思ってしまいました。中国がからむ海戦というと白村江の戦いとか日清戦争(狭義の元寇はモンゴルなので俺的には除外)のイメージが強かったですが、これも作戦や相手の大艦巨砲主義を逆手に取る渇水期作戦も「ああ、天下を取る勢力ってこうだよな」と思わずにはおれませんでした。
これだけ大規模な水上戦を内陸でやれることに中華の広さを感じる
タイトルがコーエー三國志のシナリオ名みたいで胸熱
影のMVPはチキって静観決め込んだ張士誠だよな
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大変おもしろかった。話を聞いてる限りはまんま赤壁の戦い!レッドクリフ見直すか?ww
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湖でこのような大湖戦が繰り広げられるとは・・・勉強になりました
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戸籍で800万しか人口いない時代に赤壁の戦い100万とか
紀元前に白起が40万人生き埋めにしたとか1/10くらいで考えた方がいいよ
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以前鄱陽湖が干上がってたが沈んだ船とかあったのかな?
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劉福通、腹痛になる!
陳友諒軍・朱元璋軍双方軍船に使われた木材を考えるとはげ山と化した山が一体幾つ出来たことやら・・・
古今のコウ武帝はネタが尽きませんなぁ
この戦い最大の功労者は、3カ月近く南昌を守り抜いた朱文正ですね
鄱陽湖の戦いが三国志演義の赤壁の戦いの元ネタと言う話は恐らく違います
三国志演義には先行テキストたる三国志平話があります
平話はその表紙のど真ん中に「至治新刊」とデカデカと書かれています。
至治は元号で、用いられたのは1321−23。鄱陽湖の戦いよりも40年も早く刊行されています
そしてその鄱陽湖の戦い以前に成立している平話で黄蓋の苦肉の計も、蔣某が周瑜口説くのも、手のひらに火と書くのも、孔明が東南の風吹かすのも、黄蓋が火船で突撃して曹操の船団を焼き払うのも、逃げる曹操が関羽に見逃されるのも全部あるんです
つまり鄱陽湖の戦いが影響を与える余地はないものと思われます。
(:3_ヽ)_連環の計がないすね
ついでに言うと、こうがいのはなしは正史にある話やし、追加エピソードは周瑜と曹操の話くらい?
決戦の最中にいつもの粛清をするって……。いや、まだ天下は取っていないから粛清には不慣れ?
赤壁の戦いの元ネタだったりして
あ、三国志の赤壁の戦いの元ネタだ
ヒスイレベルの戦いだ!!
信長の九鬼水軍鉄鋼船の元ネタはこの辺りかもしれんなぁ・・
ゲンショウは昂るとついヤっちゃうんだ⭐︎
元から降った武将を策略使うやり方も三國志演義での黄忠の逸話にそっくりですね。
「赤壁の戦い」の時の曹操ですらこの戦いの朱元璋ほど窮地に立たされなかっただろう。何せあわや戦死しかけたのだから。もし陳友諒が勝っていたら、互いの命運は真逆のものとなり、陳友諒が中華統一を成し遂げた可能性も有り得ただろう。
ヴィエラみたいなボランチ日本には居ないよね
帝国水軍万歳
劉基センセー、流石や、孔明なんかいらんかったんや?
あれ?劉基センセーあまり出番ないてすやん。
しかし安定の粛清、劣勢でも変わらんなぁ、しかも隊長クラスを。
登場キャラの中で色んな意味で最もレベルの低い乞食が頂点に立つとは
コーエーのゲームも真っ青
陳友貴…まさかとは思いますがゲロやウンコで攻撃するわけではないですよね?
ありがとうございます!